2025年冬号 2025年1月26日発行 第71号

            「葬儀に出席しましょう」

                             牧師 小林信人

2023226日の礼拝後に学習会が「葬儀について考える~神の家族として~」
と題して開催されました。
その後、以下の文章が「こみち」の2023年イースター号に掲載されました。
今回は、その再掲載という形になります。手を抜いているわけではありません。
もう一度皆さんと共有したいなと思ったからです。11月に神保玲姉と梅垣寿文兄の
葬儀が教会で執り行われました。それぞれ葬儀に出席した教会員は10名程度。
学習会の講演や、こみちの文章がなかなか伝わっていないなと思わされました。
言い方は良くないかもしれませんが、次に行われる教会の葬儀の出席者が増し加え
られますように願いつつ、再掲載です。

結論を申し上げますが、私たちにとって何よりの死への備えは、教会で執り行われる
葬儀に出席する事です。
これ以上の死への備えはありません。言い方は良くないかもしれませんが、
兄弟姉妹の葬儀に出席する事で、自分の葬儀のイメージを具体化させていくのです。
このことが積極的になされるとき、教会は真の意味で神の家族となっていきます。
個人的な死への備えが、教会全体を健全にしていくのです。
逆に言うと、神の家族になっている教会の葬儀は、教会員の出席者が多いです。
家族の葬儀に皆さんは出席しますか? ほとんどの場合、出席されるでしょう。
家族の葬儀に出席しない、確かにそういう事もあるかもしれません。しかし、
その場合その家族はそもそも崩壊状態にあると言わざるを得ません。皆さんは、
個人的な親しさに関わらず、教会員の葬儀に出席しますか? 
交わりのない教会員の葬儀に出席しますか? 苦手な教会員の葬儀に出席しますか?
出席しましょう。

天に召された兄弟姉妹がすでに神の御許で平安であることの確信によって、
悲しんでいる人々に慰めがあるよう祈るために、教会での葬儀には出席しましょう。
自分が天に召されたとき、悲しんでいる自分の家族の上に慰めを祈る兄弟姉妹が
葬儀に出席していると思えることはなんと素晴らしい事でしょうか。

神の家族の家族は私の家族でもあるのです。血の繋がった家族を慰めるように、
兄弟姉妹の家族の慰めの為に葬儀に出席しましょう。

葬儀の形は比較的自由度があります。神さまを礼拝することにより、悲しみの中にある者が
慰められる礼拝であるなら、形にこだわる必要はありません。
しかし、よほどの理由がない限り、密葬、家族葬(血の繋がった家族のみ)は避けましょう。
また、高輪教会には教会のお墓がありますので、出来る限り教会のお墓に遺骨を納めましょう。
他にお墓がある場合は、分骨をするのが良いでしょう。復活の時には、神さまが上手くしてくださいます。

そして、どうぞこのことをご自分の家族に前もって伝えておいてください。
私が天に召されたとき、あなた達を慰めるために教会員が私の葬儀に大勢出席するからと、
伝えておいてください。